出身地 | 鹿児島県 |
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誕生日 | 1958年9月29日 |
出身校 | 県立鶴丸高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科 |
信条 | 花に水、人に心 |
趣味 | 釣り、読書、剣道 |
著書 | 『農業・農村所得倍増戦略-TPPを超えて』、『災害と闘う』 |
小里 泰弘 プロフィールProfile
衆議院議員(鹿児島県第3区)
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鹿児島県霧島町生まれ
霧島中学校、県立鶴丸高校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科卒業
野村證券で生きた経済を学び
労働大臣秘書官、震災対策特命大臣秘書官、総務庁長官秘書官等を務め - 衆議院議員初当選、以来6期連続当選
- 自民党国会対策副委員長/自民党副幹事長/自民党国土交通部会長代理
- 自民党東日本大震災プロジェクトチーム座長
- 自民党農林部会長/農林水産大臣政務官/環境副大臣・内閣府副大臣
- 衆議院農林水産委員長
- 衆議院財務金融委員長/農林水産副大臣
- 自民党国土交通部会長
- 自民党経済成長戦略本部長/衆議院災害対策特別委員長
- 自民党 総務会長代理/自民党 経済成長戦略委員長
- 内閣総理大臣補佐官(農山漁村地域活性化担当)
等を歴任
幼少期~中学校の頃
1958年9月、鹿児島県姶良郡霧島町の農家に生まれる。僻地農村地帯で過ごし、遊びは山か川か三角ベース野球。ガキ大将仲間と山芋やアケビを採り、クワガタムシや川魚と遊んだ。町立太田小学校では、発足した剣道スポーツ少年団の1期生となり、剣道と出会う。運動会では、鼓笛隊の指揮も。町立霧島中学校時代から、新聞配達を始めて、心身を鍛える。
中学3年~大学時代
中学校3年時に、進学のため鹿児島市内に転校し、下宿生活をスタート。毎日、銭湯(鹿児島の銭湯はほとんど温泉)に行くのが楽しみに。県立鶴丸高校を経て、慶応義塾大学法学部法律学科に入学。政治家を務める父・貞利の影響を受け、政治に興味をもち、法学と政治学を学ぶ。この頃から「広く世の中の役に立ちたい」との思いが募ってくる。
野村証券時代
金融を通じて経済を学ぶ
世の中に貢献できる人材となるため自己研鑽を考え、まずは経済の仕組みを学びたいとの思いから、経済活動の血液ともいわれる金融分野での就職を希望し、野村證券に入社、渋谷支店に配属。当時日本一厳しいともいわれた野村証券の営業において、汗だくの日々を克服して、証券マンとしてのスキルと忍耐力を養う。同期と一期上を合わせた420名の中でトップの成績をとった実績が認められ、最後の4年近くは大阪支店の「花の事業法人部」に勤務。生きた経済を学ぶ。
議員秘書時代
野村証券を8年近く務めた後、国政に関与することでより社会に貢献したいとの思いから、衆議院議員であった父・貞利の秘書に。労働大臣秘書官として「育児休業法」の制定を補佐したほか、阪神淡路大震災時には震災対策特命大臣秘書官として被災地の復興に力を尽くす。また、総務庁長官秘書官として省庁改革に携わるなど、行政の中枢に関わる貴重な経験を積む。
衆議院議員
野党時代
2005年の衆議院議員総選挙に立候補し初当選。2009年の衆議院議員総選挙で2期目の当選を果たすが、自民党は野党に転落。東日本大震災が発災し、自民党の「東日本大震災対策プロジェクトチーム座長」に就任。「経験のある自民党から提案しよう」との考え方から、被災地の声を聞き、党を挙げての議論を取りまとめ、避難所対策から復旧対策まで577項目の対策を提言し、その多くが民主党政権によって実行された。民主党の「政治とカネの問題」や政権運営について追及の急先鋒となり、2012年の衆議院議員総選挙で自民党による政権奪還が成る。
副大臣・部会長として
2012年の衆議院議員総選挙にて3期目の当選を果たし、自民党が政権を奪還した後、自民党農林部会長に就任。民主党政権によって失われた農政の回復に努め、「農業・農村所得倍増目標10ヶ年戦略」を策定し、新農政の指針を示す。
その後、地元の皆さまのお力添えを得て連続5期当選を果たす中で、環境・内閣府副大臣(原子力防災や放射性汚染廃棄物の処理を担当)、衆議院財務金融委員長、農林水産副大臣等を経て、自民党国土交通部会長に就任。新型コロナウイルス感染症対策や「防災・減災 国土強靭化5ヶ年加速化対策」を推進。
2020年9月から、自民党政調副会長・自民党地方組織議員総局長に就任、現在に至る。